悟浄出立


俺はもう、誰かの脇役ではない。深化したマキメワールド、開幕! 砂漠の中、悟浄は隊列の一番後ろを歩いていた。どうして俺はいつも、他の奴らの活躍を横目で見ているだけなんだ? でもある出来事をきっかけに、彼の心がほんの少し動き始める――。西遊記の沙悟浄、三国志の趙雲、司馬遷に見向きもされないその娘。中国の古典に現れる脇 役たちに焦点を当て、人生の見方まで変えてしまう連作集。


万城目学 『悟浄出立』読了。
発売予告でタイトル見た時、中島敦の『悟浄出世』のパロかな?
と思ってたんだけどぜんぜんちがいましたごめんなさい( ’ω’)
(タイトルはたぶんオマージュだと思う)


悟浄出世
悟浄出世
posted with amazlet at 15.05.28
(2012-10-01)


特に「趙雲西航」「父司馬遷」がとても良かったなあ。
オタクの嗜みとして三国志は吉川版・宮城谷版・北方版・横光版・蒼天航路と
一通り読みましたが、成都攻略のタイミングで趙雲の心理を描いたものは
ひとつもなかった気がする。

趙雲って、劉備の長年の放浪生活に最初期から付き合っているにも関わらず、
やっぱり桃園トリオや水魚に比べると絆薄いという印象は否めなくて
義兄弟ズや諸葛亮に対して嫉妬心やコンプレックス抱くみたいな心理描写は
わりと見るんだけれども、万城目版ではそこからさらに一歩踏み込んだ
趙子竜という武将を描いてて新鮮だった。
三国志クラスタはこの一篇だけでもぜひ読んでー!(*⁰▿⁰*)

「父司馬遷」はなんというか、圧巻でした。
李陵の禍によって宮刑に処されたエピソードは有名だし、
「史書を完成させるという大願のため耐えた」と解釈されるけれども、
それは“史書という偉業を成し遂げた司馬遷”という後世の評価がある状態での
解釈であって、実際、かの司馬遷が一人の人間としてあの時何を思っていたのか、
ということを全く考えたことがなかったなあ。

とても満足度の高い短編集でした。
装丁もイイネ!今までの万城目作品の中で一番好きですこのデザイン。








徳川ミュージアムの企画展「家康公と御三家展」で展示されていた
『武庫刀纂』の燭台切光忠について記載された頁をまるまる書き写してきたので
原文とキャプションまとめ。

(トークイベントのレポはこちらの記事です。)


このような感じでガラスケースの中に展示されてました。




徳川ミュージアムによる『武庫刀纂』のキャプション

武庫刀纂   全8冊のうち6巻

水戸藩8代藩主・斉脩が、水戸徳川家伝来の刀剣について後世に伝えるため編纂し文政6年(1823)に絵師に描かせた書。
展示中の頁は伊達政宗が家臣を斬った勢いで燭台も切れたことが名の由来である「燭台切光忠」の押型。
次の頁には寸法や名の由来などが書かれている。


本文   


傳云仙台侯政宗近侍之臣有罪隠于褐銅燈架

之陰政宗乃斬之燈架倶落故名之曰燭台斫燭

台之燈架之俗称也

義公嘗臨于政宗第政宗持此刀語其由終乃置

之坐右  公将帰請是刀政宗愛之不與

公乃強持之去云



徳川ミュージアムによる訳文


伝承によれば仙台藩主の伊達政宗の近臣の一人が罪を犯し燭台の陰に隠れていたところ、政宗がこれを燭台もろとも斬り倒した。そこからこの刀を「燭台切」と呼ぶようになった。

光圀が幼年の頃政宗の邸宅にて政宗から刀を身近に置きながら「燭台切」の由来を語り聞かされた。光圀はこの刀を欲し、政宗はお気に入りの品だから」と一度は断るも、最後は刀をいただいて帰ったという。


蛇足:ゆるっと訓読 (管理人による)

傳に言わく、仙台候政宗近侍の臣に罪有りて、褐銅の燈架の陰に隠る。政宗すなわち之を斬り、燈架倶(とも)に落ちる。
故に之を名づけて燭台斫と曰ふ。燭台これ燈架の俗称なり。
義公嘗(かつ)て政宗第(まさむねだい、まさむねてい)に臨(のぞ)む。政宗この刀を持ちて其の由(よし)を語り、終に(ついに、もしくは おわりて?)これを坐右に置く。公まさに帰らんとするにこの刀を請う。政宗これを愛し、與(あたえ)ず。公すなわち強いて之を持ち去ると云う。



蛇足の蛇足:燭台切光忠語訳 (CV:佐藤拓也でお読みください)

これは水戸徳川家に伝わってる話だよ。
政宗公のある家臣が罪を犯してね、銅製の灯架の陰に隠れてたんだ。

政宗公が手打ちになさったんだけど、その時一緒に灯架も斬れて落ちちゃったんだよ。
それで僕は燭台切って名前になったんだ。あ、燭台っていうのは灯架のことだよ。

ある時、水戸の光圀公が政宗公の屋敷に遊びに来たことがあるんだけど、その時政宗公が僕をそばに置いて名前の由来をお話になったんだ。そしたらね、光圀公が帰る時になって、僕を欲しいっていうんだよ。困っちゃうよね。

政宗公は僕を気に入って下さってたからね、あげられないよって一度はお断りしたんだけど、光圀公ってば、けっこう強引に僕を持ち帰っちゃったんだ。
うーん、やっぱり格好つかないな。


ちょっと思ったんだけど、燭台って細いだろ?
隠れるとこなんてなくないか??? 家臣のそういうどんくさいとこも含めて
イラっとして斬っちゃったのかな、という気もする。
物好きの政宗公のことだから、なんかすごくデコラティブでアヴァンギャルドな
デザインの燭台だったという可能性もあり得なくもないけど。

「公乃強持之去云」とはずいぶんな言い方ですね。ぶんどった、くらいの勢いだよ。
そもそもが伝聞スタイルなので信憑性はともかく、いろいろ想像が膨らんで楽しい。







せっかく京都から出てきたのだし、と午後は特急で水戸から上野に出て
東京国立博物館に展示中の三日月宗近と他の刀剣も鑑賞してきました。

トーハク、初めて行きましたが、めちゃくちゃ広いですね!!!
海外からの観光客もたくさんいて、混んではいるんだけど広々とした開放感があって、
いたるところにソファが置いてあるし、休憩挟みつつゆったり見れてとてもいいですね、あそこは。と思ったら、

・・・・おいおい、刀剣ブースだけ異様な混み具合だぜ????

三日月様の前がすごい人だかり!!さすが!さすが天下五剣!!!





写真だと反射で見えないですが、三日月の打ちのけ、はっきりわかったよ!
ぶっちゃけて言うと、個人的にはこの後で見た短刀の越中則重のような
ダイナミックな乱れ刃のほうが、わかりやすくカッコイイなと思ったのですが、
三日月宗近、きれいでした。
うーん、もうちょっと、ちゃんと鑑賞できる目を養いたいのう( ’ω’)






こちらが、トーハクに展示中の長船光忠。
午前中にあの焼刀を見たばかりだったので、燭台切光忠も被災する前は
きっとこんな美しい刀身をしていたんだろうな・・・と思ってまた胸が苦しくなった。

距離感も違うしひょっとしたらわたしの気のせいかもしれませんが、こちらの光忠より
燭台切光忠のほうがかなり細身のような気がしたなあ・・・。





見た瞬間「おおっ!?」と思って惹かれたのがこちらの短刀、越中則重。
則重の銘も鮮やかで、乱れ刃がダイナミックで見ていて惚れ惚れした。
なんというか、帯びているだけであらゆる災厄から守ってくれそうな力強さ。





こちらは国宝・相州貞宗。





 関兼定。
キャプションを読む限り、いわゆる「之定」と呼ばれた二代目兼定(和泉守兼定)
の初期の作品、ということでいいんだろうか。
ハバキがなんかデコラティブでかっこよかったです。



堀川国広。



津田助広。
これも見た瞬間「おお」と思った。
「濤瀾刃」というらしいです。どうもわたしはこういう派手な刃文が好きみたい。


正直、午前中の燭台切ショックでまだ魂が半分抜けたような状態で見ていたので、
ちょっともったいないことをしたなあ、と今となっては思います。

来年は福岡で「へし切長谷部」も公開されるそうだし、もっといろいろ見て勉強して、
違いがわかるように!なりたい!!
とりあえず次は「大関ヶ原展」かなー!!







5月17日に徳川ミュージアムで開催された、
国際博物館の日記念 ミュージアムトーク
『武庫刀纂』に描かれた水戸徳川家の名刀」レポです。

わたしが参加したのは9:30~10:30の、朝一番の回。
追加募集のあった回を含め、一日で計3回の開催だったようですが
Twitterの他の参加者さんの呟きを見ていると、学芸員の方のコメントなども
回によってちょっとずつ違うみたいですね。
メモと記憶に基づいてなるべく正確に書き起こしたつもりですが
聞き違い・勘違い等あるかもしれません。ご了承ください。

徳川ミュージアム:http://tokugawa.gr.jp/index.html
徳川ミュージアムのブログ:http://ameblo.jp/tokugawamuseum/



【学芸員・渡邉さんの御挨拶・注意事項等】


会場は40~50人ほどが入ると満員の、会議室?のような感じの部屋。
前方に壇があり、壇上には白い布に覆われた机。さらにその上から葵の紋が入った緑の布がかけてある。左手の端にはプロジェクター。
徳川ミュージアムの学芸員・渡邉さんより、開始前の挨拶と注意事項等の説明。


・トークイベント中の撮影・録音は禁止、ただしトーク後に撮影時間を設ける。
(参加者からどよめきが)
・今回の現物展示、写真撮影およびSNS公開について水戸徳川家の現ご当主から許可を得ている。(参加者より拍手)
・国際博物館の日とは何か。今回のトークイベントおよび限定公開について。
・今年は家康公の死後400年に当たり、ちょうど本日、日光東照宮で家康公を祀る式年大祭が行われている。
・「燭台切光忠」を公開していなかったのは所蔵品の状態が悪いから、というわけではないことを最初にお断りしておく。
・急遽展示を決定したのは、記念すべき日に、所蔵品に対して大変興味を持っていただいている方々に一番に見ていただきたかったから。


ここで学芸員渡邉さんから、研究員の堀さんに交代。
プロジェクターで資料や画像を映しながら説明してくださいました。


【水戸徳川家について】

・「水戸黄門」のモデルである、二代目当主・水戸光圀公が特に有名。
・家康公の九男・十男・十一男がそれぞれ当主となったいわゆる徳川御三家のうち、
十一男・頼房を初代当主とするのが水戸徳川家である。



【『武庫刀纂』の成立について】

・『武庫刀纂』は水戸徳川家所蔵の刀剣類を記した目録であり、目録1巻、本編15巻、附録8巻からなる。
 ・文政6年(1823年)に水戸徳川家の8代目当主・斉脩(なりのぶ)が書工8名に命じて水戸徳川家所蔵の刀剣408本について精巧な模写・作成を命じた。
・刀剣の生産地別に分類されており、刀剣の押型(模写)、部分ごとの長さや由来、買値(購入したものの場合)などが記されている。



【なぜ斉脩は『武庫刀纂』の作成を命じたのか?】

・ 8代目当主・徳川斉脩は弱冠二十歳で当主となった。歴史的知名度はあまりないが、文化事業に大変力を入れた人物である。
・『武庫刀纂』の序文の冒頭に「刀剣というのは国家・日本を守るために必要な、重要な道具である」とあり、また髭切・天叢雲剣・草薙の剣など『古事記』『日本書紀』からのエピソードを多数引用し、日本における刀剣の神性を強調している。
・当時(鎖国中)の時代背景として、異国船が海岸沖で頻繁に目撃されるようになり、幕府や諸大名が非常に危機感を持っていたという点が挙げられる。
・外国に侵略されるのではないか、という危機感により、軍備や国学(日本の伝統文化が侵略によって変容することを恐れた)に力を入れるようになった。
・以上のような時代背景が『武庫刀纂』の編纂につながったと思われる。




【児手柏(このてがしわ)について】

 ・細川幽斎がいつも戦場で持っていたとされている。その後家康に譲り、
家康は関ヶ原でこの児手柏を使用したといわれている。



【燭台切光忠について。『武庫刀纂』の記載】

 伝承によれば、仙台藩主・伊達政宗の近臣の一人が罪を犯し、燭台の陰に隠れていたところ、政宗がこれを燭台もろとも斬り倒した。そこからこの刀を「燭台切」と呼ぶようになった。
 その後、光圀が政宗の邸宅にて政宗から刀を身近に置きながら「燭台切」の由来を語り聞かされた。光圀はこの刀を欲しがり、政宗は「お気に入りの品だから」と一度は断るも、(最終的に)譲ってもらえた。

※『武庫刀纂』の燭台切光忠の記載についてはこちらにまとめました。



【燭台切光忠の持ち主の変遷】
 
・織田信長→豊臣秀吉→伊達政宗→光圀という説があるが、信長→秀吉のルートに関しては、調べられる限り、確かな資料は存在しない。
・秀吉→政宗のルートについては伊達家側の資料もあるが、この「燭台切光忠」を指すのかは微妙なところ
(※この件に関しては、後で個人的に堀さんに質問しました。後述)



【政宗から譲り受けたのは光圀か?頼房か?】

・「政宗から燭台切光忠を譲り受けたのは光圀ではなく、父の頼房のほうでは?」という問い合わせは多数受けている。
・あくまで個人の見解ですが、と前置きがあり、水戸徳川家と仙台伊達家の交流の歴史からの検証。
・プロジェクターに、水戸徳川家と仙台伊達家が交流した記録一覧が表示される。(字が小さくて、ちょっと詳細が確認できず)
・歴史資料から確認できる徳川家と伊達家の交流の記録では、政宗が相手をしたのはすべて頼房である。
・例えば、元和6年(1620)に政宗と頼房が一緒に食事をした記録があるが、この時政宗は55歳、頼房は19歳である。ちなみに政宗と光圀の年齢差は63歳。
・ この年齢差を考えると、幼い男児が政宗と単独で会うとは考えづらいので、刀を譲り受けた相手としてはおそらく頼房のほうが相応しいのではないかと考えられる。
・頼房と政宗は手紙のやりとりや互いの家を行き来していたりして、大変仲が良かった。頼房から政宗に刀をあげたという記録もある。
・江戸時代の末には、光圀のほうが有名になったので、いつの間にかエピソードが頼房から光圀へすり替わったのではないか?



【関東大震災の被災について】

・明治期に、水戸徳川家は隅田川の通称・小梅御殿を本邸とした。武器庫(蔵)があり、燭台切光忠もそこに収められていた。
・大正12年に発生した関東大震災における火災により、小梅御殿は燃えたが武器庫(蔵)は無事だった。しかし、宝物が心配で慌てて開けてしまったのか、開けた時のバックドラフト現象によって所蔵品が蒸し焼きになってしまった。
(※この蒸し焼きという表現については少々語弊がある模様※ 
・ 蔵自体は無事であり、所蔵品は置かれている場所が決まっているので、その刀が「燭台切光忠」であることは特定出来る。



【水戸徳川家が守り続けてきた刀】

・焼刀となってしまい、美術品としての価値は失われてしまったが、『武庫刀纂』の序文にあるように刀剣とは日本を守るもの、という水戸徳川家の教えの通り、焼刀もずっと保存し続けてきた。
・戦時中の鉄供出命令も拒否。

(※実際、企画展「家康公と御三家展」でも関東大震災で被災した他の焼刀が展示されていました。光圀が家臣・藤井紋太夫を手打ちにしたとされる銘国光の脇差でした)



堀さんのお話はここまで。ふたたび渡邉さんに交代し、いよいよ児手柏と燭台切光忠のお披露目が・・・・!!



【児手柏・燭台切光忠の現物展示・撮影】

・学芸員・渡邉さんより、「ひとつの所蔵品に対して、これほど多くのご意見や問い合わせを受けたことは初めてで、大変驚き、また嬉しく思っている。展示に関してみなさんのご意見を頂戴したい」とのことで、挙手によるアンケート。
・「今後も燭台切光忠を展示したほうがよいと思う方」に参加者全員挙手。
・水戸徳川家の現ご当主から写真撮影、またTwitter等のSNSで写真を公開する許可をいただいている。いろんなご意見やお考えがあるのと思うので、SNS公開については皆さんの判断に委ねる、と渡邉さん。
・柄の辺りが金色なのは、ハバキ(刀身が鞘から抜け落ちるのを防ぐ・固定するためにつける金具)が溶けたものが付着しているため、と渡邉さんより説明あり。「そこがまたステキだなと思います」と微笑む渡邉さん。
・まさかと思っていましたが、葵の紋が入った緑の布の下に児手柏と燭台切光忠が鎮座していました・・・。

・前の列から一人ずつ壇上に上がって、児手柏・燭台切光忠を見せていただく。
・ケースもなく、至近距離から撮影が可能。
・参加者のみなさん刀を眺めた後、数枚写真を撮ったあとはすぐ次の方に譲り、 大変スムーズで静か。(ただし無言の興奮で熱気がすごい)
・「大変貴重なものを見せていただいてとても嬉しい」とミュージアムの方に直接お礼を言われる方多数。また堀さんに質問をしてらっしゃる方も。



【児手柏】

(iphoneなので画質はこれが限界です。クリックすると大きな写真になります)







 【燭台切光忠】



(下の写真はコントラストを少し強く加工してあります)









(以下、管理人の感想です)
わたしがトークイベントに申し込んだ時点ではまだ光忠の現物展示は告知がなく、その後ブログにて発表されたので、まさか実物をあんな至近距離で見せていただけるとは思わず、iphoneを構える手が震えました。

焼けて刃文などはわからなくなっているし、刀として、美術品としては価値がないのかもしれませんが、細身の黒い刀身は力強く、溶けたハバキの金色が映えてとても美しかったです。惚れ惚れする素敵な刀でした。本当に「燭台切光忠」そのもので、思わず涙ぐんでしまった・・・。

堀さんのお話を伺った後でしたので、戦中の供出命令を拒否した事の他にも、きっと保存し続けるためには大変な苦労があっただろうと思い、よく今まで何百年も保存し続けてくださったと、また、この貴重なものを公開し撮影も許可してくださって本当にありがたいと胸がいっぱいになりました。



【『劒槍秘録』についての質問】

ちょうど『劒槍秘録』について調べていたところで、資料のコピーも持参してきたので、写真を撮った後、堀さんに質問してもよろしいですかとお尋ねすると、快く受けてくださいました。

『劒槍秘録』や「政宗記」(成実記)に記載されている、秀吉から政宗に下賜された「光忠」について、この「光忠」が燭台切であることが読み取れる部分、もしくはその事実を補完する資料はありますか、とお尋ねしたところ、
「まだすべての資料を調べたわけではないのではっきりしたことは言えないが、この記述部分だけでは、確かにこの光忠が燭台切であるかどうかはわからない」とのこと。

「政宗記」の、下賜した翌日になって秀吉が政宗を盗人呼ばわりするエピソードに関しても、政宗の家臣である成実がなぜそんなことを書いたのか(不敬に当たらないのか?)という疑問があったので、このエピソード自体があまり信憑性がないのかもねえ、というお話しをしていました。

ただ、秀吉が刀を下賜することはよくあったし記録にも残っているので、秀吉→政宗へ刀を譲ったというのは不自然ではないし十分あり得るとのこと。



【トークイベントの印象・感想】


徳川ミュージアムの方が大変好印象でした。特に学芸員の渡邉さん、研究員の堀さんは「所蔵品について興味を持っていただけて大変嬉しい」「今回注目されたことで、改めて所蔵品について見直すきっかけになった」「きっと(燭台切光忠については)みなさんのほうがお詳しいと思いますが」と言うようなことを何度も口にされていて、わたしたち刀剣ファンの希望や熱意を尊重してくださっている印象が強かったです。

ゲームやアニメから興味を持つ人が増えてブームになると、マスコミに「歴女」だとかよくわからないカテゴライズをされたり面白半分に誇張された記事を書かれたりして、その作品やキャラクターを好きな気持ちを粗雑に扱われたような気がして悲しい思いをすることがあるのですが、今回、ミュージアムの方はゲームから入ったファンが多数いるということを認識した上で、わたしたちが燭台切光忠について知りたい、という気持ちに敬意を払ってくださっていると感じました。

参加者の方は若い女性が9割でしたが、みなさん熱心にメモを取られていて、写真を撮るときも出来るだけスムーズに進むよう譲り合っていましたし、「貴重なものを見せていただいてとても嬉しい」とミュージアムの方に直接お礼を言っている方もたくさんいて、終始とてもいい雰囲気のイベントでした。
京都からの参加なので少し遠かったですが、本当に、参加出来てよかったなあとしみじみしています。

徳川ミュージアムは東日本大震災でも被災しており、財団の活動や文化財の修復費への寄附を募っています。わたしも出来ることはしたいなと思って寄附申込書をいただいてきました。
 被災した刀の再刃についての検討や、所蔵する他の刀剣についても調査・研究が進められているそうなので、今後も燭台切光忠をはじめとする刀剣の展示の機会があるかもしれないと思うととても楽しみです。






仙台伊達家の蔵刀目録、『劒槍秘録』を閲覧できたので自分用メモ。

〔参照資料〕
日本美術刀剣保存協会宮崎県支部編 『劒槍秘録』 
 日本美術刀剣保存協会宮城県支部, 昭和55年10月発行


【『劒槍秘録』について】

・寛政元年(1789年)、当時御刀奉行であった佐藤東蔵によって編録された。
しかし、巻3-4に掲載されている内容と東蔵の没年が合わないため、巻3-4は東蔵の没後以後に編集されたものと考えられる。

・日本美術刀剣保存協会発行の活字本は、明治になって転写されたものであり、この転写本は時期は不明だが伊達家から日光東照宮事務官柴田晃陽氏の所有となった。原本は伊達家大井邸(品川区大井林町)に保管されていたが、明治45年の火災で焼失。

・巻1は伊達政宗から斎村(なりむら)まで、太閤秀吉や徳川家康から家重までの歴代将軍家、および禁裡から拝領したものを記し、その由緒伝来を伊達家の古記録から引用、さらに書簡類や東蔵自身が調査した内容なども書き添えてあるため、他の3巻より詳細。

・記載されているものは寛政元年時に収蔵されていたものではなく、一度伊達家に入ったもので、後に何らかの事情で出てしまったものなども含まれる。

・伊達家伝来として著名な「鶴丸国永」の太刀、景秀の「くろんぼ切」、義景の太刀などがどういうわけか記載されていない。特に景秀の太刀については、政宗以来寛政元年までは確実に伝わり、戦後まで伊達家を出ていないのに掲載されていないという不可解な点がある。





資料を手にして、とりあえず伊達組の記載から当たりましたが、
おっと、ここでも鶴丸が記載されていないのはどういうわけだ。驚きだぜ。
鶴丸に関しては、本当に信憑性のある一次資料が少なくて手を焼いている。



 【“光忠”についての記載部分】

『劒槍秘録』に記載されている“光忠”は巻1と巻3の二振り。
このうち、巻1に記されている「光忠御刀」が秀吉から賜ったものであると書かれている。


巻一

二    一    光忠御刀
   
   銘
   長

御記録云慶長元年 月日不知 木幡山御普請之節
太閤之御召舟を献らる仍之御拝領也 御腰物方無御伝光忠御太刀金拾五枚 忠山様御七夜御祝儀之節享保三年六月五日従 獅山様泉田木工御使者ニ而被進之蓋此御太刀なるへし



以前調べた政宗記の、木幡山の築城の際、政宗が献上した淀川に浮かべる舟を秀吉が気に入って、下賜した刀という記録と一致するので、これがそうなんでしょう。
が、やっぱりここでも“燭台切”の記述は見当たらず。
しかしなんでこれ長さ書いてないんだろう?
巻1の他の刀の記載に比べても、かなりアッサリした表記。

ちなみに巻3のほうの光忠も太刀。伝来の由来などは記載なし。
巻3は巻頭に「御代々御指之部」とあるので、いわゆる指料として使われたものだろう。
ところで「さしりょう」って「差料」表記が正しいと思ってたんだけど違うんだろうか。


【大倶利伽羅についての記載部分】


巻一

二七   一   大倶利伽羅広光御刀  
  磨上無銘     
  長弐尺弐寸三分

  安永七年十二月百枚迄之下見札直ル
  代金
  五拾枚突と下札

御記録云元和六年十月 日不知 江戸御城石壁御普請成就ニ付従 秀忠公御拝領也
御帳云従 台徳院様 義山様御拝領元和六年十月 日不知 但同年春江戸御城二之御丸追手口升形其外石壁御普請被 仰蒙御造畢之節也
御由緒同断
一 御鎺上下金無垢地鈩
一 御切羽金無工
一 御鐔赤銅分銅疎金覆輪
一 御縁赤銅 [魚肉] 子中樋      一 御柄鮫黒塗
一 御目貫御笄赤銅 [魚肉] 子桐鳳凰
    右御目貫御笄作光乗金六枚極有
一 御小柄赤銅 [魚肉] 子俱利伽羅龍裏金哺
    右御小柄作宗乗金三枚極有
一 御小刀平安城藤原金重       一 御鞘黒塗
一 御鵐目金   一 御柄白革     一 御下緒紅
一 御袋表浅黄純子銘縫有裏茶丸緒練繰
一 箱黒塗几帳面縁懸共金粉沃懸銘書金粉鐶甲銀
一 御三所物相入箱右同断


※[魚肉]は魚偏+肉

欄外に注釈があるけど省略。時間あるときに追加。
巻末に写真も載ってました。『図説 刀剣名物帳』(雄山閣)に載っている
押形も見ましたが、もう竜の彫り物がかっこいいのなんのってね!
頭の上に炎が舞ってるんですわ~。

秀忠から拝領したという記述は政宗記とも一致します。
貞ちゃんについても記載するつもりでしたが、この『劒槍秘録』、やたらに貞宗が多く、
ちょっと調べて整理してからにしたいので保留。







群像 2015年 02月号 [雑誌]


キリがないので文芸誌は買わない、というスタンスなんだけれども、
これはTLで見るなり買いに走った。
(あと舞城と酉島さんの掲載号は買ってしまう・・・。信者乙!!)

カラーです。全部カラーです。
目次ページをご覧?ステキだろう??


本文ページもすべてカラー印刷で、まさに絵巻!
ただ、オレンジや紫の濃色に白字は正直目に痛かったよ(ヽ´ω`)


まず町田康のロックテイスト「付喪神」のあまりのフリーダムさに、
「御伽草子ってなんだっけ(꒪⌓꒪) 」と、既成概念を粉々に打ち砕かれる。
付喪神からビームて。自由すぎるだろ!!!

石黒亜矢子さんのグロカワなイラストもゾクゾクしました。
賽銭箱で人間ミンチイイネ!ああああこういうの好きじゃー。
ぐぐってみたら、絵本もおもしろそう。今度探してみよう。

おおきなねことちいさなねこ (cub label)
石黒 亜矢子
長崎出版
売り上げランキング: 59,021


青山七恵の「鉢かづき」、藤野可織の「木幡狐」も女性ならニヤっとしちゃう
エスプリと毒が効いててよかったです。

鉢かづきは、子供の頃絵本で読んでめちゃくちゃ釈然としない記憶があって、
大人になってから原作(古典)を読んでも「この不幸って鉢のせいでは。ママン!?」
と突っ込みどころ満載で一層釈然としなかったんで、青山版を読んで胸がすっとした。
幸せって、運命ってなーーんだろーー♪( ’ω’)

一応国文科卒なので室町物語とか中世説話も勉強しましたが、
ハァこういう解釈がー、とひたすら目を白黒させながら読んでた。
御伽草子知らなくても、ハイクオリティな作品として楽しめます。

去年の岸本佐知子編「変愛小説集」といい、群像の企画号はいいなあ。
またいろいろフリーダムにやってほしい(( ’ω’ 三 ’ω’ ))





星を賣る店


「ないもの、あります」の看板を掲げ、麗しくも奇妙な品々を世に送り届けてきた、架空のお店にして本づくり工房=クラフト・エヴィング商會。アート、デザイン、文学が融合した商會初の棚卸し展覧会。 

2014年に世田谷文学館で開催された、
「クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会・星を賣る店」の公式図録。
展覧会すっごく行きたかったんだけど、東京は遠くてねえ(ノД`)

まぁせめて雰囲気だけでも味わいたい、と読んでみたら、
アゾットのパスポートだのムーン・シャイナーだの、ファンにはたまらない
あれやこれやがてんこもりで、つい『クラウド・コレクター』を読み返してしまった。

作品群では、特に「雲砂糖」(商品番号 0105番)とか
「ディナー・ツアーのチケット」(商品番号 0349番)がそそられますなあ。
食いしん坊なんでこういうアイテムは弱い。

本の1/3ほどを占めるのが、クラフト・エヴィング商會がデザインを手がけた
装丁作品で、写真が帯つき(単行本のみ)で載ってるのがよかった。
改めて見ると、デザインにブレのないコンセプトが見て取れて面白い。

装丁で好きなのは『パロール・ジュレと紙屑の都』と
岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』かなー。足穂全集は傑作だね!!



パロール・ジュレと紙屑の都

ねにもつタイプ

稲垣足穂全集〈1〉一千一秒物語
世界の果ての通学路 [DVD]


世界には、学校にいくために想像を絶する道のりを、毎日通っている子どもたちがいる― フランス発、地球を通学路という観点から捉えた驚きと感動のドキュメンタリー!
どうして彼らはそんなに苦労してまで学校に行くのだろう? 別の大陸、違う言語、宗教、生活環境の中で暮らす4人の子どもたちは、真っ直ぐな瞳で同じ思いを語る。 「夢をかなえたいから」 世界の果ての通学路から、希望に満ちた地球の今と未来が見えてくる。


ケニア・ライキピアの11歳の少年・ジャクソン。
まだ陽も昇らない5時半、彼は妹のサロメを連れて学校へ向かう。
「無事、学校へ着きますように」父が祈る。

小高い丘に登り、象の群れを確認する。
「今日はあっちから行かないとだめだ」
野生動物が群れるサバンナを、命がけで学校まで通う兄妹。
学校まで15キロ、2時間の通学路。


モロッコ・アトラス山脈。12歳の少女・ザヒラ。
「おばあちゃんも学校へ行った?」少女の問いに、祖母が答える。
「モスクだけ。そういう時代じゃなかったからね」
大きな石がゴロゴロ転がる険しい山道をひとり歩くザヒラ。
学校まで22キロ、4時間の通学路。


アルゼンチン・パタゴニアの11歳の少年・カルロス。
果てしなく続く荒涼とした大地。
「おにいちゃん、前に乗りたいよ」そうねだる妹のミカを鞍の後ろに乗せて、
滑り落ちたらただでは済まない断崖を馬に乗って進む。
学校まで18キロ、1時間半の通学路。


インド・ベンガル湾の13歳の少年・サミュエル。
彼の両脚は動かない。
2人の弟たちが兄の乗った車椅子を押しながら学校へ行く。
舗装などされていない道は車輪が埋まる。
学校まで4キロ、1時間15分の通学路を、毎朝3人の兄弟は行く。



日本で生まれ育った身には、想像を絶する光景が淡々と続く。
まさに命がけの通学路を通う彼らを見ているうちに、自然と湧いてくる疑問がある。
「なぜ、そうまでして学校へ?」
 
「かなえたい夢があるんだ」
肌の色、言語、国が違っても、彼らはみな一様におなじ答えを返す。
足が動かない、女性が学ぶことに理解がない、山のような障害を背負いながら、
きらきらした目で語る彼らには、悲壮感などまるで感じられない。

最初は、自分の恵まれた環境を無意識に噛みしめながら観ていたのだが、
途中からどうでもよくなった。たぶんそういうことじゃないのだ。
そもそも教育とは何だ、人はなぜ学ぶのか、そういうことを考えさせられる。





最貧困女子 (幻冬舎新書)


今や働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。可視化されにくい彼女らの抱えた苦しみや痛みを、最底辺フィールドワーカーが活写、問題をえぐり出す! 

鈴木大介 『最貧困女子』読了。

なんだこれは。どうしたらいいんだ。
あまりにも八方塞がりの現実に、頭を抱えることすら出来ず呆然とする。
読んでいる間ずっと、活字で出来たハンマーでボコボコに殴られてる感があった。

フィクションややらせであったならどんなにか良かったか、と思うような事例ばかりで
正直気が滅入ったが、今もまさにこういう状況で生きている人が現実にいるのだ。
 
著者の鈴木氏にしても、 取材をした女性たちの惨状を目の当たりにして

 聞き出したいことは尽きない。だが、この20余名という少数への取材をした後、僕はこのテーマでの取材を一切していない。というか、できなくなった。
 ここで懺悔するならば、僕は逃げたのだ。彼女らを取り巻く、圧倒的な不自由と、悲惨と壮絶から、僕は尻尾を巻いて逃げ出した。そこにあったのは、考えても考えても救いの光がどこにあるのか分からない、どう解決すればいいのか糸口も見えない、そんな、「どん底の貧困」だった。  (p56)

と、思考停止とも受け取れる弱音を吐いている。
それはそうだろうと思う。
彼女たちの置かれている状況を知って、なんとかならないのかとは思っても、
何をどうしたらいいのかわからないし、正直に言って、別世界の話だという
傍観者の位置から踏み出すことはできない。

それでも、“(そういう女性たちがいることを)知らないでいたほうが良かった”
とは思わないし、鈴木氏の狙いもおそらくそこにある。

鈴木氏は、自分はルポライターであって行政の人間でも専門家でもないから
具体的な救済方法を考えることは出来ないと言うが、
それでも本書の目的はいくつかあって、

・貧困女子の中でも特に存在が見え辛い、セックスワークに従事する
最貧困女子を可視化すること。
・救済が必要な彼女たちが差別や批判の対象になることを防ぎ、
あまりにも無理解な第三者の「自己責任論」を封じること。

この2点については、確実にこの本による効果はあると思う。

わたしは、世のありとあらゆる差別は“無知”から生まれると思っているが、
これを読んでいて、わたし自身、性風俗や貧困の中にいる人たちに対しての
ぼんやりとした偏見や誤解があることに気づかされて、
「理解しているような気でいる」のも、“無知”と同じくらい罪深い事だなと思った。


少し前に、TLでとても話題になったブログ記事がある。
大変感銘を受けた。


誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) 
 - 腐ハウスブログ
http://fuhouse.hatenablog.com/entry/2015/04/13/184022


多分、本当にわからないのだろう。
そして私にもわからないことがたくさんあるのだろう。
多分、私も、自分がマジョリティとして当然に享受していることについてはあまりにも鈍感に生活しているんだろうと思う。
駅の階段を苦もなく上り下りできることとか、特に違和感なく性別欄に「女」と書けることや、私のパスポートが何の葛藤もなく日本のものであることとか。
そういうことに、せめて、なんというか、「私は気付いていない」ということだけでも、思っていられたらと思う。


わからなくても、気づいていなくても、差別に加担するような真似はしたくないし、
知らないからといって、自分がいる場所や自分の価値観が正しいと傲慢になったり、
正論を振りかざして他人を追い詰めたりするようなことはしたくないなと思った。
切実に。