謡曲 「小鍛冶」ゆるゆる現代語訳


小狐丸の元ネタとなった能「小鍛冶」。
本当は生の舞台を観に行きたいんだけど、なかなか機会がないので
謡曲「小鍛冶」を現代語訳してみました。
流派によって若干の差異がありますが、今回は喜多流のものを原文に採用。

【注意書き】
・原文テキスト
 野上豊一郎編『解註謡曲全集』  巻6    p105-116.
   中央公論社,   昭和26年10月改定初版 昭和46年12月再版
・原文の旧字体は新字体に直しました。
・現代語訳下の*マークの注釈は管理人によります。
・現代語で不自然にならないよう、直訳でなく意訳に近い部分があります。
・訳にあたって参照した、その他の参考文献は末尾に記載





小鍛冶 (喜多流)

第一場


ワキヅレ「これは一条の院に仕へ奉る橘の道成とはわが事なり。さても帝今夜御霊夢の御告あり。三条の小鍛冶宗近に御剣を打たせらるべきとの宣旨唯今成り下りて候。この由を宗近に申しつけばやと存じ候。

勅旨「私は一条天皇に仕える橘の道成と申す者。(ところで、)帝は昨夜、夢の中で神仏のお告げをお受けになり、三条の刀鍛冶・宗近に刀を打たせよとのご命令がただ今ございました。それを三条の宗近に申しつけようとしております。

*橘道成=「道成寺」でも寺の建立者として同名があるが、おそらく架空の人物




ワキヅレ「いかにこの家の内に宗近があるか。
ワキ「誰にてわたり候ぞ。
ワキヅレ「これは宣旨にて候。さても帝今夜御霊夢の御告あり。御剣を打たせらるべきとの宣旨なり。急いで仕り候へ。
ワキ「宣旨畏つて承り候さりながら、折節相槌仕るべき者のなく候はいかに。
ワキヅレ「不思議の事を申す者かな。その名を得たる宗近なるが、相槌打つべき者のなきとは、心得がたき言ひ事かな。

勅旨「宗近殿はおられるか。
宗近「どなたでしょうか。
勅旨「帝の勅命をお伝えいたします。帝は夢でお告げを受けられ、宗近殿に刀を打たせよと仰せられました。速やかに刀を打つがよろしいでしょう。
宗近「おそれおおくも、ご命令お承りいたします。しかし、今はあいにくと相槌を打つ者がおりません。
勅旨「これはおかしなことを仰る。刀鍛冶として名高い宗近殿が、相槌を打つ者がいないとは不審な言い分ではありませんか。

*相槌=鍛冶(かじ)などで、師の打つ間に、弟子が槌を入れること。また、互いに槌を打ち合わすこと。



ワキ「仰せはさる御事にて候へども、かやうの物を仕るには、われに劣らずほどの者の相槌仕りてこそ、御剣をも打ち申すべけれ。とにかくに御返事を申しかね、
赤面したるばかりなり。
ワキヅレ「げにげに申すところも理なれどもさりながら、帝も不思議の御事なれば、まづまづ領承申しつつ、急ぎ家路に帰るべしと、
重ねて宣旨ありければ、
ワキ「この上はとにもかくにも宗近が
 とにもかくにも宗近が、進退ここに谷りて、御剣の刃の乱るる心なりけるぞ。さりながら御政道、直なる今の御代なれば、若しも奇特のありやせん・それのみ頼む心かなそれのみ頼む心かな。

宗近「仰ることはごもっともでございますが、そのような特別な御剣を打つには、私に劣らぬ腕を持つ者の相槌が必要でございます。なんともお返事をいたしかね、(よい弟子がいないことを)お恥ずかしく思います。
勅旨「なるほどそちらの言うことももっともであるが、帝も不思議なことを体験なさったのであるから、とりあえず承諾なさって、急いでご帰宅なさるのがよろしいでしょう。
と重ねてご命令するので
宗近「そう仰られましても・・・
(地謡) 辞退することも出来ず、宗近は進退窮まって(刃の焼きの乱れのように)心が乱れるのだった。しかし正しいまつりごとが行われている今であれば、もしかして奇跡が起こるのではないかと、それを頼みにするばかりだった。

*勅使は宗近の家に訪ねてきているのに「急いで帰宅しろ」というのはつじつまが合わない。改変前の古いテキストの名残らしい。他の流派では「帝も奇特のご霊夢ましませば、頼もしく思ひつつ、早々領承申すべしと、重ねて宣旨ありければ」になっている。





ワキ「これは一大事の事を仰せ出だされて候ものかな。かやうの事には神力を頼むならでは別儀なく候。われ等が氏の神は稲荷の明神にて候間、これより直に稲荷へ参り、この事を祈誓申さばやと存じ候。
シテ「いかにあれなるは三条の小鍛冶宗近にてわたり候か。
ワキ「不思議やな なべてならざる御事が、道もなき方より来たり給ひ、わが名をさして呼び給ふは、如何なる人にてましますぞ。

宗近「これは大変なことを仰せつけられたものだ。このような一大事には、神仏におすがりするしかない。当家の氏神様は(伏見の)稲荷神社であるから、これからすぐ参拝し、このことを祈願しよう。
童子「もしもし、そこへ行かれるのは三条の刀鍛冶・宗近殿ではありませんか」
宗近「これはどうしたことだ。とても只の人とは思われぬ貴いお姿の方が私を名指しでお呼びになる。一体どなただろうか。



シテ「雲の上なる君よりも、剣を打ちて参らせよと、汝に仰せありしよのう。
ワキ「さればこそそれにつけても猶猶奇特の御事なり。剣の勅も唯今なるを、早くも知ろしめさるる事、返す返すも不審なり。
シテ「げにげにそれはさる事なれども、われのみ知ればもろ人までも、
ワキ「天に声あり、
シテ「地に響く、
 壁に耳岩の物いふ世の中に、岩の物いふ世の中に、隠れはあらじ殊になほ、雲の上人の御剣の、光は何か暗からん。ただ頼めこの君の、恵みによらば御剣もなどか心に叶はざるなどかは叶はざるべき。

童子「雲の上のお方(帝)が、そなたに刀を打てと仰せになられたのだなあ」
宗近「やはりこれはただ事ではない、今のお言葉を聞くにつけても。勅命を承ったのもたった今のことなのに、もうご存知でいらっしゃる。返す返すも不思議なことだ。
童子「なるほど、不思議に思うのももっともだが、いつの間にか知れ渡っているものなのですよ。
宗近「天に声あれば、
童子「地に響くというではないか、
(地謡) 「天に声あり壁に耳あり」「岩が物言う世の中」ということわざがあるように、自分だけが知っていると思っても広く知れ渡ってしまうものなのだ。特に、帝から御剣を打つように勅があったのだから光が暗いはずもなく(早く知れ渡るのも当然だ)。頼もしく思うことだ、大君の恩恵があるのだから、思うような御剣が打てぬはずはないだろう。





地(クリ) それ漢王三尺のげいの剣、居ながら四囲の乱れを鎮め、又煬帝がげいの剣、周室の光を奪へり。
シテ「(サシ)その後玄宗皇帝の鍾馗大臣も、
 剣の徳に魂魄は、君辺に仕へ奉り、魍魎鬼神に至るまで、剣の刃の光に恐れてその寇をなす事を得ず。

(地謡) 漢の高祖・劉邦の三尺の剣は、都に居ながらにして四方の敵を鎮め、隋の煬帝の剣は周の威光を奪ってしまうほどだった。
童子「その後、唐の玄宗皇帝に手厚く葬られた鍾馗大臣も、
(地謡) 剣の徳のおかげでその霊が玄宗を守護したように、魍魎鬼神のような存在でも、剣の刃の光を恐れて危害を加えることができない。
*げい=刀の名前らしいが詳細不明。流派によってケイとも謡うらしい。
*鍾馗=中国、唐の開元年中、玄宗皇帝の夢に終南山の進士鍾馗が現われ、魔を祓(はら)い、病気をなおしたという故事に基づく。中国で、疫病神を追いはらい魔を除くと信ぜられた神。日本では、その像を、五月五日の端午の節句ののぼりに描いたり、五月人形に作ったり、魔よけの人形にしたりする。



シテ「漢家本朝に於いて剣の威徳、
 申すに及ばぬ、奇特とかや。
(クセ) 又わが朝のその初め、人皇十二代、景行天皇、みことのりの御名をば日本武と申ししが、東夷を、退治の勅を受け、関の東も遥かなる東の旅の道すがら、伊勢や尾張の海面に立つ波までも、帰る事よと羨みいつかわれ等も帰る波の衣手にあらましと、思ひつづけて行く程に、

童子「中国や日本において剣の威光というのはいちいち言うまでもなく特別なものである。
12代皇帝の景行天皇の皇子、ヤマトタケルノミコトが東の異民族を討てと命令を受け、逢坂の関の東に遠征に行かれた旅の途中、伊勢や尾張の海の波までが返っているのに、我々が都へ帰れるのはいつのことになるだろうかと嘆き、
*伊勢や尾張の...=伊勢物語の「伊勢尾張のあはひの海づらを行くに、波のいと白く立つを見て」「いとどしく過ぎゆく方の恋しきに羨ましくもかへる波かな」を引用したもの。



シテ「ここやかしこの戦ひに、
 人馬うんくつに身を砕き、血はタク鹿の河となつて、紅波楯流し数度に及べる夷も兜を脱いで矛を伏せ、皆降参を申しけり。尊の御宇より御狩場をすすめ給へり。頃は神無月二十日余りの事なれば、四方の紅葉も冬枯の遠山に見ゆる初雪を、眺めさせ給ひしに、

童子「そのような戦を幾度か経て
(地謡) 岩窟で身を砕かれるような苦しみを味わい、血が河となり血の波が盾を押し流すほどの激しい戦いを繰り返した異民族も、兜を脱ぎ矛を伏せ、降参した。その東征以来、御狩の行事が始まった。その戦は十月二十日あたりの事だったので、あたりの紅葉も枯れて散ってしまい、遠くの山に雪がかかっているのをヤマトタケルノミコトがご覧になり、
※うんくつ=不明。岩窟がなまったものか。岩窟となっている流派もある。
※タク鹿=タクは豕にさんずい。中国、河北省タク鹿県の東南にある地名。黄帝が蚩尤と戦った地と伝えられる。



シテ「夷四方を囲みつつ、
 枯野の草に火をかけ、余焔頻りに燃え来たり、敵攻鼓を打ちかけて、火焔を放ちてかかりければ、
シテ「尊剣を抜いて、
 尊剣を抜いて、あたりを払ひ忽ちに、焔も立ち退けと、四方の草を薙ぎ払へば、剣の精霊嵐となつて、炎も草も吹き返されて、天に輝き地に充ち満ちて、猛火は却つて敵を焼けば、数万騎の夷どもは忽ちここにて失せてんげり。その後四海治まりて人家戸ざしを忘れしも、その草薙の故とかや。唯今、汝が打つべきその瑞相の御剣も、いかでそれには劣るべき。伝ふる家の宗近よ、心安くも思ひて下向そ給へ。

童子「異民族はヤマトタケルノミコトを四方から囲んで
(地謡) 枯野の草に火をかけたので、炎が盛んに燃え上がった。異民族は攻鼓を打って、なおも火攻めを仕掛けてきたので
童子「ヤマトタケルノミコトは剣を抜いて、
(地謡) 辺りを払い、「炎よ、立ち退け」と四方の草を薙ぎ払えば剣の精霊が嵐となり、炎も草も敵方に吹き返された。炎を天を輝かせ地に充ち、炎は却って敵を焼き尽くすことになったので、数万の異民族たちはあっという間に全滅してしまった。その後は天下も平和となり、人々は(盗賊の恐れがないので)戸締りを忘れるほどであった。それというのも、草を薙ぎ払った、草薙の剣のおかげであるという。今、そなたが打つ、めでたい前兆のある御剣もどうしてそれに劣ることがあるだろうか。刀工の奥義を伝える家の宗近よ、安心して家に帰るがよい。
*てんげり=「てけり」の強調。
*瑞相=帝が夢を見たこと。めでたいしるし。




ワキ「漢家本朝に於いて剣の威徳、時にとつての祝言申すばかりなく候。さてさて御身は如何なる人ぞ。
シテ「よし誰なりとも頼むべし。まづまづ勅の御剣を、打つべき壇を飾りつつ、
その時われを待ち給はば、
 通力の身を変じ、通力の身を変じて、必ずその時節に参り会ひて御力を、つけ申すべし待ち給へと、夕雲の稲荷山、行方も知らず失せにけり行方も知らず失せにけり。  

(中入)

宗近「中国日本の剣の威徳、今この場にふさわしいありがたいお話でありました。それにしても、あなたはどういう方なのです。
童子「私が誰かはどうでもよいことでしょう。ただ頼ればよいのです。それより、まず勅命を下された御剣を打つための壇を設け、
その時私を待っていたならば
(地謡) 神通力を得た身を変化させ、必ず場に参上し、あなたをお助けしよう。待っておいでなさい。 と言うなり、夕雲のかかった稲荷山の方角へ消え失せてしまった。




第二場



後ワキ「宗近勅も随つて、即ち壇にあがり、不浄を隔つる七重の注連、四方に本尊を懸け奉り、幣帛を捧げ、仰ぎ願はくは、人皇六十六代、一条の院の御宇にその職の誉れを蒙る事、これ私の力にあらず。伊弉諾伊弉冉の尊、天の浮橋を踏み渡り、豊葦原を探り給ひし御矛より始まれり。その後南瞻僧伽陀国波斯弥陀尊者よりこの方、天国ふぢとの子孫に伝へて今に至れり。願はくは、
 願はくは、宗近私の功名にあらず。普天卒土の勅命によれり。さあらば十方恒沙の諸神、唯今の宗近に力を合はせたび給へとて、幣帛を捧げつつ、天に仰ぎ頭を地につけ骨髄の丹誠聞き入れ納受、せしめ給へや。
ワキ「謹上、 
 再拝。

宗近「宗近は勅命に従い、壇に上がり不浄を隔てるための注連縄を幾重にも張り、四方には守護神の絵像を掲げて幣帛を捧げた。天を仰ぎ願うことには、神々よ、人皇六十六代一条天皇のこの御代に、刀工としての名声を得ているのは決して私自身の力によるものではございません。イザナミイザナギの二柱が天の浮橋を渡り、この豊葦原の国を探り遊ばせたその矛から刀剣は始まったもの。その後、南瞻部洲は僧伽陀国の波斯弥陀尊者がこの刀鍛冶という業を始められ、天国の子孫が代々伝えて今日に至ります。神々、どうか、」
(地謡)  どうか神々よ、この仕事は宗近個人の名声を高めるためのものではございません。天下を治める君の勅命によるものでございます。ですから、十方世界にまします無量無数の神々よ、この宗近に力をお合わせくださいませ。そうして宗近は幣帛を捧げ、天を仰ぎ地に頭を頭をつけて心の底から誠心誠意を込めた祈願をお聞き入れください、この願いを叶えてくださいと祈ったのだった。
宗近「謹んで拝み奉る。
*南瞻=南瞻部洲
*僧伽陀国=古代インドにあったという十六大国の一つ。ただし、この国名は「仁王経」だけにみえるもので、他本と一致しない。
*波斯弥陀尊者=詳細不明。刀工の遠祖とされる行者。
*天国=あまくに。『尺素往来』に名がみえる、日本に於ける刀工の元祖とされる大和の人。
*ふじと=詳細不明。天国と同じく刀工の元祖か。観世では「ひつき」となっている。
*普天卒土=卒土は国の果ての意。天下、全世界。またその天下を治める君主。
*十方恒沙=「恒沙」はガンジス河の砂のことで、無限の例え。



二 


 いかにや宗近勅の剣、いかにや宗近勅命の剣、打つべき時節は虚空に知れり頼めや頼めや、唯頼め。

―シテの働。

シテ「童男壇の上にあがり、
 童男壇の上にあがつて、宗近に三拝の膝を屈し、さて御剣の鉄はと問へば、宗近も恐悦の心を先として鉄取り出だし、教への鎚をはつたと打てば、
シテ「ちやうど打つ。
 ちやう、
シテ「ちやうど、
 打ち重ねたる鎚の響天地に聞こえて、おびたたしや。

(地謡) 宗近よ、これ宗近よ、御剣を打つべき時節が虚空に知れたのだ。ただ頼もしく思うがよい。
童子「(少年の姿で化現した)稲荷明神が、壇上に上がって
(地謡) 童子姿の稲荷明神が壇上に上がり、宗近に膝を屈して三拝し「さて御剣の鉄は・・・」と尋ねると、宗近は感激に満ちながら鉄を取り出し、まず宗近が第一の鎚をはったと打てば、
童子「ちょうと打つ、
(地謡) ちょう、
童子「ちょう、
(地謡) ちょうちょうと打ち重ねる鎚の音が盛んに天地に響いた。
*三拝の膝を屈し=宗近は勅命を報じて刀を打つ主工であり、稲荷明神は助工であるため、宗近に敬意を表して三拝する。





ワキ「かくて御剣を打ち奉り、表に小鍛冶宗近と打つ。
シテ「神体時の弟子なれば、小狐と裏にあざやかに、
 打ち立て申す御剣の、刃は雲を乱したれば、天の叢雲ともこれなれや。
シテ「天下第一の、
 天下第一の二つ銘の御剣にて、四海を治め給へば五穀成就もこの時なれや。即ち汝が氏の神、稲荷の神体小狐丸を、勅使に捧げ申し、これまでなりといひ捨てて、又叢雲に飛び乗り、また叢雲に、飛び乗りて東山稲荷の峰にぞ帰りける。

宗近「こうして御剣を打ち奉り、宗近は刀の表に小鍛冶宗近と銘を刻む。
童子「稲荷明神が弟子として相槌を打ったので、裏には小狐と明瞭に刻み、
(地謡) 打ち終わった御剣の刃には、雲を乱したような乱れ模様があって、天の叢雲の剣もこうであったかと思われる。
童子「これぞ天下第一の、
(地謡) 天下第一の名剣。裏と表に二つの銘を持つこの御剣をもって天下を治めれば、五穀は豊かに実り、平和な世となるだろう。すなわち宗近の氏神・稲荷明神は私なのだ、と言って小狐丸と名付けられた御剣を勅使に捧げ、稲荷明神は「これまでなり」と言い捨てて叢雲に飛び乗り東山の稲荷の峰に帰って行ったのであった。
*刃は雲を乱したれば=焼き刃の乱れを雲に例え、さらに天の叢雲の剣を連想








【参考文献】

芳賀矢一, 佐佐木信綱編並に校註 『校註 謡曲叢書』 第1巻
臨川書店, 大正3年4月初版 昭和62年10月復刻版

横道萬里雄, 表章校注 『謡曲集』 下 (日本古典文学大系41)
岩波書店, 1963年4月

野上豊一編 『謡曲選集』
岩波書店, 1986年4月第10刷

村戸弥生 「『小鍛冶』の背景 ―鍛冶による伝承の視点から― 」
『国語国文』 61(3), p19-32

石井倫子 「<小鍛冶>の周辺」
『日本女子大学紀要』 52
CiNIIオープンアクセス  http://ci.nii.ac.jp/naid/110000207958 (2015.4.12閲覧)

『日本国語大辞典』 小学館 (japanknowledge)

『国史大辞典』 吉川弘文館 (japanknowledge)





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