アンナ・カヴァン 『ジュリアとバズーカ』

ジュリアとバズーカ


「私は本当はここにはいない」
孤独な少女の日常に不安な幻想が浸み込む−−アンナ・カヴァンによる、繊細で美しい短篇小説集。

 このアンナ・カヴァンというひとは、この世に生れ落ちてからというもの、
一度でも安らぎや充足というものを覚えたことがあるんだろうか。

読みながらずっと、そんなことを感じるほど「喪失」や「不安」、「孤独」を
噛みしめるような話ばかりだった。
時々、ほんの少しだけ、誰かと寄り添ったり、心が満ち足りた瞬間が描かれる。
それが、涙が出るほど美しい。


わたしは星を見ないようにしている。星を見ることに耐えられないのだ。星を見上げては「わたしは生きている、愛し愛されている」と思った日々を思い出してしまうから。人生のうちであの時だけは、わたしは本当に生きていた。今は生きている気がしない。わたしは星が好きではない。星のほうでわたしを好いてくれたことは一度もなかった。愛されたことなど思い出させてくれなければ良いのに。―――――「英雄たちの世界」(p77)


だが、作品の中で語られる美しい瞬間はいつも過去のものだ。
喪失や孤独による、一種の陶酔を伴うドラマティックな悲哀とか、
それを乗り越えた先の希望みたいなものは、一切伝わってこない。
自分はずっとこのままなのだと、もう取り戻せない、やり直せないという、
諦めのようなものを感じる。

彼女が67歳まで生き延びられたのは、「バズーカ砲」と冗談めかして
呼ばれる注射器を常に持ち歩き、ヘロインを常用していたおかげだろう。
けれど、ヘロインの力を借りても、彼女の足元にはきっと、
常にぽっかりと暗い穴が開いていた。

歳を重ねれば重ねるほど、人間は鈍感になっていく。
痛みや悲しみから身を守って生き延びるために。
健やかさや幸せが日常になれば、その重さにも鈍くなる。

彼女のまんなかはきっと、やわらかい芯のままだった。
その柔らかさに触れて、ぎくりとする。


「ある訪問」「英雄たちの世界」が特に印象的だった。
死ぬ間際にふと思い出したりするのはこういう話かなあ、と思った。








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