英子の森


彼女たちを「違う世界」へ連れて行ってくれる魔法、それは――
『スタッキング可能』でわたしたちが〈洗脳〉されている「社会」の「不確定さ・不安定さ」と「個人」の「代替可能性」をシニカルに描いた松田青子が贈る、待望の第2作品集。


松田青子 『英子の森』読了。

表題作の「英子の森」はまあざっくりいうと“母親の呪い系”で
マンガでも小説でもよくあるテーマだし、わたしもいくつか読んでるんだけど
それが森っていう心象風景(?)を通すとこんなに斬新に読めるのかと。


これもよかったんだけど、
TwitterやFBなどのSNSをやっていて、ブログでどうでもよいことを世界へ発信し
かつ自己顕示欲強い系の人(つまりわたしのような)
にはグッサリ刺さる「博士と助手」がえらい面白かったです。

で、なるほど、いつも通り大層おもしろく、早速「今回も○○節は健在!」「いつもの○○節が炸裂!」とそれぞれ書き込んだと。(中略)
なるほどー、それにしても○○節とはまた粋な表現をお使いになりますな。よくよくそのフレーズを見ていると別になにも言ってないじゃないか、情報としてゼロじゃないか、なんてことは気にせず「!」で押し切るその気概、アグレッシブでいいと思います。また、今回もということは、前回と同じ、つまりは毎回と同じだというわけで、それって製作者サイドからしたら言われてうれしい感想なのだろうか、とそんなこともちろんこちら側からしたら一ミリも関係ないわけですからね。ないですないです。(中略) p134

いや、まえださんすばらしいですよ。○○節。まえださんがその監督のことを知っていて、その監督の作品を毎回チェックしているという事実をさくっとみんなに知らしめたい、そのアピール、わたくしの胸にしかと突き刺さりました。みなさんの胸にも突き刺さりましたよね。ね、いやはや、なんと有効な言葉なんでしょうかねえ。それにしても節ってなんでしょうな、節って。 (p135)

ちなみにおおくぼさんには、新しく話題にのぼるようになった人に対してとにかく「天才!」と褒め称える必殺技もありまして、これもまた素晴らしい反射神経だなと、ええ。おおくぼさんは天才だらけの世界にお住まいになられて素敵ですね。 (p138-139)



すみませんでした(´;∀;`)



もうしません(´;ω;`)







骨を彩る


見て見ぬふりをして、喪ったと思っていた、あの人、あの記憶、あの言葉が今、降り注ぐ――。

何も喪わず、傷つかず生きている人なんていない――。
色彩をなくした過去、記憶、日々に、あらためて向き合い、彩ってゆく希望の物語。

妻を喪い、少しずつ妻のことを忘れてしまっている自分に気付く夫――「指のたより」、恩師の葬儀に現れないかつての友人との過去のやりとりをたどり、今彼女に何かを言わんとする女性――「古生代のバームロール」、息子がいじめられているかもしれないという不安を抱えながら、自身の過去の記憶に向き合う母親 ――「バラバラ」、ゲームの中でしか雄弁になれない童貞――「ハライソ」、転校生のある宗教を信仰している少女と出会い自分たちを苦しめる"普通"につい て模索する、母親を喪った少女――「やわらかい骨」など、登場する人たちは皆、心のどこかで骨がひっかかっているような、自分の骨が足りないような、何か不安定な喪失感を持っています。その喪失感は、不思議と読者にヒタヒタと浸透し、やがて「私には、ここに穴があったんだ」と、心の沁みのような喪失感を気付かせます。この物語は、読む人によって涙する場所が違う、不思議な物語です。ただ、読後に残るのは鮮やかな希望。注目の新鋭による希望の物語をお届けします。


これは、ちょっと すごい。

『さようなら、オレンジ』や『おわりの雪』を読んだ時も感じたんだけど
こういうものを表現するために小説という媒体があるのだとしみじみ。





子どもの頃から今現在に至るまで、
ずっと燻り続けている強情な生木のような部分がわたしにはあって、
その生木の部分と世間との折り合いをつけるために本を読んで
(なんとか)ここまで生き延びた。


怒りについて。他人を許すことについて。
諦めることについて。


なぜ正当な怒りであっても、それを表に出すと責められるのか。
なぜ面白半分に心を殴りつけてくる他人を殴り返してはいけないのか。
なぜ分かり合うことを諦めたらいけないのか。
なぜ努力しろと言われるのか。

なぜお前が変われと理不尽なことを言われるのか。

なぜ許さないといけないのか。


そんな生木の部分をいつまでも大事にしていたって何の役にも立たないのだから
さっさと乾かして燃やしてしまえ大人になれと繰り返し言われ続けてきた。
それは真実わたしのことを思っての言葉だと知ってはいたけれど、
どうしてもイヤだとわたしはこの生木の部分で息をしたいんだと
強情に拒否しつづけてきて、
まあ、でも、わたしが間違ってるんだろうなあとぼんやり思っていた。



小説や歌詞を読んでこういうことを思う人を馬鹿にしていたので
自分でもちょっと信じられないんだけど
「あ、わかってくれる人がいたなあ」という気がした。
(彩瀬さんが表現したかったのは、ひょっとして正反対のことだったのかもしれないが)

ずっと昔に「ここから先は無理だ」とわたしが立ち止まっていた場所を
最後の章で、小春ちゃんがきれいに粉砕してくれた。


胸がすく思いがした。


同級生との温度差や孤独に苦しみ闘った14歳の小春ちゃんが、
わたしがとっくの昔に放棄してしまった場所からさらに一歩踏み込んだ時、
そういう場所に行けるのか、 そういうふうにものを見れるのかと、心底驚いた。

本当に、初めて見る景色だった。
もしかしたら今までも見ようと思えば見られたのかもしれなくて、
綾瀬さんの見せ方が、一番するっと素直に受け入れられたのかもしれない。


読めてよかったと心底思う。
また少し、息がしやすくなった。
こうやって生き延びる。











きつねのつき (河出文庫)


狐かオバケか、人に化けた者たちが徘徊する町。かつて巨人が生まれた町。ときに不思議なことが起こり、特定危険区域と呼ぶ人もいる。大災害に見舞われたあの日から。いま私は娘の春子と、異形の姿の妻と、三人で暮らす。この幸せを脅かすものがあれば、私は許さない…。切ない感動に満ちた再生の物語。


北野勇作 『きつねのつき』 読了。


ずっと「家族ってなんだろうな」っていうことを考えながら読んでいた。
北野さんを読んだことがある人ならわかると思うんだけど、
全体的にぐちゃっ....というかどろっ......というかまあそんな感じなので
ラストが思いのほか明るく暖かく、読み終わってじわーっとしていた。

たいへん、よい本でした。


感想をぽろぽろと呟いていたら北野さんからリプライをいただくなど。
嬉しかったので貼っとくね(*ꆤ.̫ꆤ*)





※人面犬のくだりが、個人的にけっこう「Oh.......」ってなったので
  ブルブルしていました。夢は見ませんでした!