長嶋有 『問いのない答え』

問いのない答え


震災発生の三日後、小説家のネムオはネット上で「それはなんでしょう」という言葉遊びを始めた。一部だけ明らかにされた質問文に、出題の全容がわからぬまま無理やり回答する遊びだ。設定した時刻になり出題者が問題の全文を明らかにしたとき、参加者は寄せられた「問いのない答え」をさかのぼり、解釈や鑑賞を書き連ねる。そして画面上には“にぎやかななにか”が立ち上がる―ことばと不条理な現実の本質に迫る、静かな意欲作。それぞれの場所で同じ時間を過ごす切実な生を描いた、著者四年振りの長篇群像劇。

長嶋有 『問いのない答え』読了。
(第4回Twitter文学賞 国内篇第3位) 



顔も名前も(時には性別さえ)知らない人たちと
「おはよー」「おかえり、おつかれー」と言い合う。

これが美味しい、あれが素敵、あそこに行きたい。
こういうのヤだよね、あれってどういうことなの?どう思う?

ポジティブな感情もネガティブな感情も、誰かが共有してくれる。
時には「いや、それ違うでしょ」と正反対の意見をぶつけられる。
わたしの知らないことも、詳しく知っている“誰か”がいる。

すばらしくセンスの研ぎ澄まされた言葉を操る人がいる。
そのままの、飾り気のない言葉から人柄の良さが透けて見える人がいる。


今すぐそこへ飛んでいきたくなるような呟きをする人がいる。

モニタに表示される、ただのフォントの羅列に、胸を突かれることがある。

10年前は、考えもしなかった方法で、たくさんのひととつながっている。





被災した女子高生、一二三は思う。
今のおばあさんが寂しいかどうか知らないけど、とにかく大人が寂しいっていうのは、困る。嫌だというより困る、だ。大人は、寂しくてはいけないんじゃないか。(p162)


新しいiPhoneに機種変更したスズキは、見える世界が変わったことに驚く。
世界がそのようにしかみえないからといって、世界がそのようであるとは限らない。(中略)同じものなのに、見え方は大きく違うというのが、不安なのか安心なのか分からない、なんだか変な気分だ。(中略)今触れていられる世界だが、みえている通りでは本当はないのかもしれない。(p201)


あの時「逃げた」友人を思いながら、小説家のネムオは考える。
これまでも本当はそうだったのだが、「頭」が「悪」かったら、我々は生きていけないかもしれない。天井が吹き飛んだとき、無知に生きてきたということを思い知らされたことは確かだ。ノノちゃん駄目だよ、定規で測ってちゃ駄目だ。(p244)


ラストの、ネムオの母の「いいんだよ」という呟きにはっとする。



モニタを流れていくタイムラインの向うにいる“誰か”が、
今日も「わたしの知らない」違う世界を教えてくれる。


ようこそ世界。はじめまして、どうぞよろしく。

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