影浦峡 『信頼の条件』

信頼の条件――原発事故をめぐることば (岩波科学ライブラリー)
福島原発事故後、事実としても科学としても誤った発言が跋扈した。ところが、受け手の市民に責任が転嫁される事態が生じている。専門家といわれる人々のことばから論理の構造を抽出し、どこに問題があるのかを明確にする。信頼の条件とは、内容の確かさだけではない。科学者を含む市民皆が直視すべき、知識の扱い方の問題である。

影浦峡 『信頼の条件――原発事故をめぐることば』
(岩波科学ライブラリー)読了。

仕事用。
高校出たての学生さん向けにメディアリテラシーの初歩について
話したり書いたりすることがあるのですが、現状の日本では
まず高校までにメディアリテラシーについて学ぶ機会はないと思われるので、
(見識の高い先生が授業の合間にお話なさるようなことはあるのかも)

そもそも「情報を批判的に識別する」という、
メディアリテラシーの概念を持たない子がほとんどで
まずそこを理解してもらうのに色々工夫する必要があります。

で、普段から参考になるものを探して読んだりしてるんですが
CiNII経由で読んだ影浦氏の論文が、
情報の識別プロセスについて、大変納得のいく論理を展開していたので
興味を引かれてこれも読んでみました。

原発事故以降、いわゆる「専門家のえらい先生様」たちの
極めて信頼性の低い発言の数々を揚げ足取りに近いレベルで
ばっさばっさと斬り捨てており、例えば、毎日のように目に、耳にした
「今のところ、ただちに健康被害を引き起こす可能性は極めて低い」
などという、不明瞭かつ信頼性皆無な、国民を馬鹿にしているとしか思えない
発言がいけしゃあしゃあと繰り返され、しかもそれがまかり通ってしまうということについて
社会への批判や発言者への非難ではなく、言葉そのものを解体して
本当に考えなければならない問題はどこにあるのかという点を導き出します。

 不安をもち不信感を抱くことが、冷静さの欠如ではなく、むしろ冷静かつ合理的な判断の感情レベルでの一つの現われであるときに、冷静さを偽装しつつ実際には思考停止した人々が自ら科学的であると称して声高に発言する社会で、本来専門家が負うべき説明責任・挙証責任を負わされながら充分に発言する機会をもたない市民が抱くのは、科学に対する不信感にとどまりません。そのような社会状況に対する不満も抱くことになります。  (第5章「コミュニケーションの再配置へ向けて」 p86より)

この部分なんかは、わたしが“なんとなくずっとモヤモヤしてた違和感”を
もうそのまんま言語化していて、あああ、と膝を打ちました。
そうだ、冷静になればなるほど不安になるのは合理的な判断の結果だよ!!
それを「(無知な市民の)パニック」とか抜かしよる奴は信頼してはいけないのだね。

あれからもう3年経ちました。
思考の停止に陥らないために。自戒。



3.11後の放射能「安全」報道を読み解く: 社会情報リテラシー実践講座3.11後の放射能「安全」報道を読み解く: 社会情報リテラシー実践講座
(2011/07/04)
影浦 峡

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