内澤旬子 『世界屠畜紀行』

世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)

「食べるために動物を殺すことをかわいそうと思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じるのは、日本だけなの?他の国は違うなら、彼らと私たちでは何がどう違うの?」アメリカ、インド、エジプト、チェコ、モンゴル、バリ、韓国、東京、沖縄。世界の屠畜現場を徹底取材!いつも「肉」を食べているのに、なぜか考えない「肉になるまで」の営み。そこはとても面白い世界だった。イラストルポルタージュの傑作、遂に文庫化。

アニメの「銀の匙」第1期の、豚丼が肉になる回の演出がすごく良くて、
(銀の匙を知らない人にとっては意味不明な説明・・・)
原作コミックスを読み返しているうちに、
「生きている限り、ずっと他の生命を口にすることになるのに
それについてあまりにも知らなさすぎる、考えなさすぎるんじゃないか」と
そんなことを思ったので、前から気になっていたこちらのルポを読んでみた。

『銀の匙』の影響で、わたしの興味は主に
「生き物を食べるために育てること」「他の生命をもらって生きること」
ということについて向いていて、著者の内澤さんの主眼である
「屠畜に関わる人間に対する差別的な感情」「肉食についての文化の差異」
とは微妙にズレていたのですが、
世界各国の屠畜事情、文化の違いについて克明に書かれていて、とても面白かったです。

例えば、イスラム教圏である中東には、
犠牲祭という大きなお祭りがあります。

ざっくり要約すると、メッカへの巡礼が無事に終わったことへの
感謝の意を表して生贄を捧げる行為にあやかり、
巡礼月にメッカに巡礼に行かなかった(行けなかった)世界各地のイスラム教徒たちが
それぞれの家や地域で生贄をアラーに捧げること、それが犠牲祭です。
(文庫版p111より要約)

イスラム教徒にとっては、ラマダン明けの祭りと並んで大変大事な祭りらしい。
しかし、例えばイスタンブールでは、トルコがEUに加盟したことによって
「犠牲の動物は決まった公式のところで買うことが義務づけられ、
屠畜場以外の場所で、免許のない人間が犠牲を行うことは禁止」されてしまった。
今まで各家庭で行われていた(からこそ意味があった)犠牲を捧げるという行為が
事実上、形式的なものになってしまった。

なぜ禁止されたのかというと、衛生上の問題などもあるでしょうが
動物の喉をナイフで切ることを残酷な虐殺行為とみなして、西洋諸国の
動物愛護団体や政府が犠牲祭にクレームをつけたことが要因の一つらしい。


これを読んで、思わず「うーん」と唸ってしまった。


「かわいそうだから私は殺さない、肉を食べない」という理屈はわかる。

「生き物を殺すなんてかわいそう!生きたまま頸動脈を切るなんて残酷だ!」
というのも、まあ、納得は出来ないがそういう心理はわからなくもない。

けれど、システム化された屠畜場で電気ショックや二酸化炭素で気絶させた動物を(殺して)
食肉にし、清潔にパックされた状態で整然とスーパーに並んだそれを買い、
冷蔵庫に入れ、時には「使い切れなかった」「忘れていた」といっては廃棄する。


それは“残酷”ではないのか?


どこの先進国でも、食品の廃棄率は問題視されている。
わたし自身も、肉に限らず食材を無駄にしたことがないわけではない。
自らの手で動物を屠り、他の命を食べて生きていると五感で体感しながら
生きている人々は、肉=命、を食べずに棄てることはあるだろうか?



色んなことを考えさせられる、ものすごく密度の濃いルポでした。

イスラム圏に限らず、モンゴルだのチェコだの、ありとあらゆる国へ
単身乗り込んで行って取材する内澤さんのパワーがすごい。
どこの現場でも、写真はやはり嫌がられる(禁止される)事が多いらしく、
ところどころに挿入される精密でどこかユーモラスなスケッチも
内澤さん自らの手によるもの。

それと、内澤さんの一本筋の通った考え方や、
でもそれを決して他人には押し付けない、しかし理解してもらおうという努力や
他の文化や屠畜を行う人々への、最大限の敬意を払った取材の姿勢などが
とても好きだし、それでなければこの本もここまで面白くはなかったと思う。

かなり長い、内容の濃い本ですが
(わたしも秋に読み始めて、途中で疲れて読み終えたのは年越してから。)
出来ればいろんな人に手に取ってもらいたいです。


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