石田千「きなりの雲」

きなりの雲


今年の読書始め。石田千「きなりの雲」

「月と菓子パン」以来、この人の言葉づかいと物事を見る目線に
惚れてしまって、エッセイは全部読んでます。
が、好きな作家さんだけに小説を読んでみて、
もしがっかりしたら立ち直れない、と思って
(憧れの人がイメチェンしたらすごくダサくて醒めちゃった、みたいな・・・)
小説のほうは手を出しあぐねてました。ビビりな自分を殴りたい!

もうーーーすごく良かったあああ!
年が明けて最初の読書が大金星だとなんか幸先いいよね。
正直、万人受けするかどうかは微妙だと思うんですが、
(芥川賞の候補になったけど、受賞し損ねたのはなんか納得しちゃう・・)
わたしはめちゃくちゃ沁みました。


おそらくこれは、「再生」の物語なんだろうと。
物語は、主人公のさみ子が失恋して、
心身を壊すほどダメージを受けているところから始まる。

このたびふられるまで、恋愛で公私をわけられなくなるようなひとには、遠巻きに接していた。この年にしてこんなことになるとは、予想できなかった。いっさいを持っていかれたようになってみてはじめて、世間の深さ広さを思い知った。そうして、それまでのわけしり顔でいた日々が、つくづくいやになってしまった。 (p17)

もう最初のここでね、ガツンと来た。
「たかが恋愛」だと。かつてはさみ子もそういうタイプだったんでしょう。
それが、40歳にしてそれまでの自分の価値観が根こそぎ揺らぐみたいな
そういう恋愛をして、そしてなくしてしまった。

体が悲鳴を上げ、ようやく病院を受診する段になって
さみ子は「これじゃいけない」と思うんですが、
この踏ん切りのつけ方がまた普通じゃない。

あばらの浮いた裸を白衣のふたりにさらし、うつむきながら、ここまでと悟った。もういいじゃないかとからだに諭され、ようやく足のうらが、床とじぶんの湿度を感じる。
未練にこれからさきの命を賭けるかときかれれば、やはりうなずけなかった。 (p18)

恋は、ふたりのものだった。ふられてからさきは、ひとりきりのことだった。
ここまでしか身がもたないというのは、わずかな記憶を宝ものに、思いつづけることもできない。けっきょく、そのていどの愛情ということだった。からだを痛めつけたのも、手ばなせなくしたのも、だれのせいでもなかった。納得できずに、じぶんにやつあたりをした。耳をふさぎ、やみくもに力をいれていた。 (p19)


失恋して「ひとりきり」を受け容れるのは誰しも辛いことでしょうが、
さみ子は全部自分で引き受けてるんですよね。
実は、かなり相手の勝手な都合での別れ話だったんですが、さみ子は
その恋愛を振り返って、ふられたのも結局自分のせいだったと考える。

うーむ。「いっさいを持っていかれ」たようになる恋愛を失った後で
こんな冷静になれる女性がいるだろうか・・・。
半年間抜け殻のようになって、体を壊したからこそ到達した境地なのか
40歳という年齢のせいなのか、単にさみ子の性質なのかはわかりませんが。

(“万人受けしないのではないか”と思ったのも、このあたりの
主人公の思考が、合わない人には不自然に感じてしまったり、
場合によっては苦痛に感じるのではないかという気がするので)

ようやくさみ子は、きちんと食事を摂るようになり、
仕事である編み物教室の講師に復帰し、古いアパートの屋上で
植物を育てたりして、慎ましやかな「日常」を取り戻していくのですが
この、彼女がゆっくりと「再生」していく過程がとても好きです。

アパートの住人や、編み物教室の生徒である小学生の女の子とか
恩人である、元いた会社の先輩だとか、
そういう周囲の人々のさりげない優しさと、
その優しさを受け取った時のさみ子の思いがじんわりと沁みます。

なんかなー、さみ子さんて「嬉しい」とか「楽しい」が非常に
ローテンションというか、自分の中で完結しちゃってるというか。
(これはエッセイ読んでても思うので著者がそういうタイプなのか)

主人公主観なんだけど、主人公がそういうタイプなもので
「感動」とか「最高!!」とか、そういうパッションの強い感想は
抱きにくいんだけど、その温度の低さが逆に心地よくて、
読み終わるのが惜しくてわざとゆっくりゆっくり読んでいました。

体調はよくなかったけど、正月で時間はあったので
心に余裕があった状態で読んだのも良かったのかな。





余談ですが、Amazonのレビューにあまりにも的外れなものがあり
読解力&想像力のない大人の言葉の暴力に恐れおののきました。
ネットのレビューとかクチコミって今や購買を大きく左右する要因に
なってますが、こういう事例みるとホント怖いなと思う・・・。


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